先日、無事プレオープンすることが出来ました。
来てくださった方、応援してくださった方、そして手伝ってくれた皆さん
本当にありがとうございました。これから頑張って参ります。
んで、いい機会なのでこれまでの事とか思いをば深夜のテンションで書いていこうかと思います。(長いです)
きっかけは若手職員の政策提案から
事の発端は、2年前。
佐伯市の若手・中堅職員政策提案を控える河野からの計画内容共有とそれに参画しないかという打診から。
そのちょっと前に実行委員やファシリとして関わった地元高校生向けのイベントでお互い同じような気付きがあり、何とはなしに話しようぜってなった記憶。
提案をもらった時、正直めちゃ心踊りました。
東京から九州に戻って来て、所謂まちづくりと呼ばれるものに興味を持ち九州各地の取り組みに触れる機会をもらって、
自分もいつかプレイヤーに!そう思って様々挑戦した結果、コロナ禍の影響もあり福岡で挫折し。
もう都会では暮らせないと半ば自暴自棄になり、知人を頼って佐伯に引っ越したのが3年前。
決まってた仕事が飛び、これからどうして良いか考えもまとまらず、緊急事態宣言中はただひたすらに家に籠る日々。
都会の成功者と自身の差に耐えられずとにかく逃げ出したくて、ほぼノープランでの引っ越しでした。
思ってみれば、高校卒業まで居た地元八代市以来の、社会人としては初の田舎暮らし。
いよいよプレイヤーに!いよいよまちづくりに!閉塞感から抜け出せた感覚があり、今思えば舞い上がってたように思います。
ちょうどその頃、たまたまfacebookで共有されてた島根の高校魅力化プロジェクトの記事を読んで、
自身が取り組んでみたい、進んでみたい未来の理想形はこれなんじゃないかと思いオンライン説明会に参加しました。
自分にはリノベーションをする度胸も資産もないし、起業するようなスキルも無い。
でも、学生と一緒に地域に関わる事なら出来るかもしれない。
正直だいぶ舞い上がってたと思います。
何となく向いてんじゃね?という根拠のない自信があって、やってみたいかもという思いがこの時に湧き上がった気がします。
結論として、高校魅力化プロジェクトに関わる事は叶わなかったけど、とても良い気付きを得た機会でした。
まちづくり会社で得た高校生に関わるきっかけ
態度が悪いので悪目立ちするのは東京時代から相変わらずなんですが、佐伯に来て半年程経った頃、人生で初めて悪目立ちがプラスに働きまちづくり会社で働いてみないか?というオファーをもらいました。
既に地方での生活に手詰まり感を感じていたところで、知人達からの満場一致のアドバイスを参考にせず入社することに。
そして、本当にたまたま悪目立ちが別のとこでプラスに働いて高校生向けのイベントを一緒にやってみないかとお誘いを頂いていたので、まちづくり会社の取り組みとしてやってみようかと実行主体に参画させてもらいました。
そもそも、教育とかそういう分野に全く関わった事がなかったので、実施の2ヶ月前くらいまで何が何やらさっぱり分かっておらず。
打ち合わせの内容も全然理解出来ていませんでしたが、経験豊富なみなさんに助けてもらいながら最低限の関わりで無事開催に至りました。
その時、初めて高校生というカテゴリの人達と関わり、それまで抱いていたイメージが一変したのを覚えています。
僕自身が高校生の頃本当に何も考えてなかったので、同じように何も考えてないんだろうと思ってたのが本当に恥ずかしい。
彼らはそれぞれに違ったいろんな事を考えて興味を持って悩んで、そしてひたすらに可能性に溢れている人達なんだと思い知らされました。
多分、普通の人からすると当然の事なんでしょうが、もう本当に認識がなくて、こんな面白い人達に関わってこなかった勿体なさみたいなのと、一緒に何か出来たらめちゃ面白いんじゃないかというワクワクを感じました。
こういう関わりをもっと増やせたら、日常に出来ないもんか。
関わる高校生の数や継続のこと、参加の難易度など、別の形でもっと身近に前段階の取り組みが出来ないか。
漠然とそんなことを考えてた時に河野から声をかけてもらって、意気投合して、そうしてKIISAを進めていく事になりました。
前途多難なコロナ禍での準備
さて、スタートさせたはいいものの、当時まちづくり会社と回転焼き屋という二足の草鞋。
なかなかに変化出来ない組織構造へのフラストレーションと、未経験で手探りの飲食店経営に翻弄されて休み無く働いてたのに加え、まん延防止等重点措置などが重なり準備や視察もままならず、結局法人設立は8ヶ月後の2022年6月。
随分ゆっくりしたなぁと思いつつ、その間まちづくり会社を退社し身軽になり、そして、河野含めた船頭町の諸先輩方のこれまでの取り組みによって河野が物件管理の一員になった事でKIISAを白井歯科2階で実施させてもらう事となりました。
でも、ここからが本当に大変だった。
経験も実績も無い僕らは、事業計画の根拠に乏しくお金を借りるのも諸手続きを申請するのも全然思うようにいかず、時間ばかりが過ぎる日々。
こんなにも!心血注いで頑張ってるのに!あんまり働いてもいなかったので余裕がなく、この頃から特にいつもイライラして食ってかかる男のイメージが濃くなったと思います。
結局、工事の着工が出来たのは2023年の3月中旬。
本当に辛い辛い日々でしたが、着工から2ヶ月、ようやくスタートラインに立つ事が出来ました。
相談をさせていただいた方々、悩みをぶちまけさせてくれた友人、アドバイスをしてくれた先輩方、こちらのお願いを飲んでくれた方々、そして何より笑顔で協力してくれた皆さん、本当にありがとうございました。
なんでやるの?とか個人的な想い
KIISAってちょっと分かりづらいんですが、cafe &community KIISAは場所のこと、んで、その場所を運営したりいろんな企画をするのが一般社団法人KIISAです。
僕らは、高校生に関わる事として居場所の運営やイベントなどを企画していくのですが、教育とか福祉とかそういう取り組みとは違くて、というか経験無いのでやれなくて。
簡単に言うと、高校生が将来の可能性を広げるきっかけを地元で得たり、楽しんで納得感を持って大人や地域と関わるきっかけとなる場や機会を作っていけたらと思っています。
そんな事やる必要あるのかってたまに聞かれるんですが、勿体無いじゃないですか地元のこと知らずに離れてしまうのって。
前述した通り、コロナ禍で佐伯に引っ越して来ました。
出身は熊本で、東京、福岡と働いていたので地元でも何でもない土地です。
それが縁あって佐伯を知り、面白いとこだなと思って少しずつ関わり出して遂には住んじゃって。
引っ越してからも面白い事や人と出会って楽しく自由に暮らせてます。
でも、東京や福岡で出会った佐伯出身の人、佐伯在住の人に言われました。
「よくこんなとこ来たね」
「あんなつまんないとこ行ってどうすんの?」
って。
出身地ならではの色々があるのも承知してます。が、でもオモロいとこいっぱいありますよ?って言いたくなります。
んで、そういう大人のネガティブな印象とかイメージって多分子供にも伝搬すると思うんですよね。
だって、僕がそうだったから。
地元離れてもうすぐ20年、まぁもう全然地元に興味が無くてどんな店があるとか、どんな人が居るとか全然知らない。
地元ってただ生まれた土地という認識しかなくて、思い出があるだけで思い入れは感じなかったし、正直者がバカ見るような地域だったので、こんなとこに居てもと思ってました。
だから、地元って質量が無い出身地を表す言葉でしかなく、東京で聞かれてもwikipediaみたいな事しか答えられませんでした。
でも、九州に来てまちづくりに出会い、佐伯に来てプレイヤーになって、いよいよこの年で少しずつ興味が湧いてきたんです。地元に。
が、これまで関わりを持たなかったから今更どう踏み込んでいけばいいか分からない。知り合いも居ないし協力してくれそうな人も繋がりもない。
きっかけが無いとホントに関わりようがなくて、でもそのきっかけも欲しくてもなかなか得られない。
そうなると勿体無いじゃないですか。
僕自身にとっても、そして、地域にとっても。
多分、関わりを持ち続けてたらこれまで佐伯でやってきた事とかこれからKIISAでやってく事とか地元でやってたと思うんです。
それって恐らく地域にとってマイナスじゃなかったはずだと思うんですよね。手前味噌で少し恐縮なんですが。
だから、今面白いと思って住んでる佐伯で、地元という言葉に質量が伴う気付きを得た佐伯で、
地域をあんまり知らないまま、地域に興味が持てないまま市外に出てくのは本当に勿体無いなと思って
知るきっかけ、繋がり続けるきっかけをつくっていけたらと思った次第です。
楽しんでもらえたら一先ずOK
長々と書いてみましたが、地域とか大人とかそういうの気にせずとりあえず高校生が地域で楽しく過ごす選択肢になれたら一先ずOKです。
そして、KIISAが出来てからなんか少し楽しくなってきたなと思ってもらえたら万々歳です。
まだようやく場所が出来た段階。スタートラインに立てた状態です。
良いも悪いもこれから次第。
応援ほど、よろしくお願い致します。